おにまる/麻布十番

ダイブマスターと認定されるには泳力チェックという項目があり、400メートルおよび800メートルのタイムが評価されます。したがって、東京で日常生活を送っている合間においても定期的にプールに通ってトレーニングを重ねる必要がある。
この日は沖縄前日。明日からの特訓に備えて最後の仕上げにひと泳ぎしに行こうと、家を出ようとしたその時、ケータイがピコピコと鳴り響く。「えーん!!誰もいないよー!!」
何の話だ、と、電話の主のA子に聞く。「今夜、一緒に飲むって言ってたじゃないですか~。それなのに、あたしひとりしかいない~」甘いね。確かにこの前の飲み会の終盤(午前2:30)にそんなことを言っている奴がいたけれど、酔っ払いたちの口約束を信じたキミが悪い。そもそも僕は「翌日から沖縄だから」ってその場で断ってたじゃないか。

「どうしても来てくれませんか~?せっかくメイクして十番まで来たのに~」僕は今から港区スポーツセンターに泳ぎに行くところなんだよ。一緒にプールならいいよ。水着なら貸すよ。キワドイやつがあるんだ。ギリギリの。
「プールなんて行きません!」なんてワガママな女。それじゃあ交渉決裂。もう切っていいかな?とあくまでハードボイルドな姿勢を貫く私。良いお年を、と受話器を置く。
それでも20代半ばの女の子が魑魅魍魎とした居酒屋にひとりぼっちで放って置かれている絵を想像するとさすがに可哀相に感じ、やれやれ、とひとり呟き彼女の元へと足を向ける。もし私が女であれば、確実に都合の良い女として扱われ、幸せを勝ち取ることは無かったであろう。
数分後に店内入ると文字通り跳ねて喜び私の腕に抱きつくA子。か、かわいい。やっぱ来て良かった←
それでも口約束をした奴らには責任を取ってもらわなければならない、と男たちに連絡すると「今、オーストリアです」「今から鮨を食べるところなので邪魔しないで下さい」と色好い返事は得られない。2ストライクから出された代打の辛さが身に沁みました。
「えへへ、なんだか2人でデートしてるみたいですね」ニコニコと楽しそうに酢モツをつまむ彼女。なるほど今夜はワンチャンあるかもしれません。
「あ、もうすぐ私の友達来るみたい」やっぱワンチャン無いようです。
ガラリと引き戸が開き、菜々緒似の美人が登場。想定外の展開に思わず息をのむ。「へへへ~、美人でしょ~?あたしの美女仲間のひとりです~」と、A子。こいつ、自分で自分のこと美女って言ってやがる。確かに美人の友達は美人。
はじめまして、と簡単な自己紹介を済ませると、「そうだ、この前、柳家いったんです!」と爆弾発言。
柳家とはグルマンの間であまねく知れ渡る有名店。当然に予約が難しく、またその立地が岐阜の山奥ということも後押しし、神格化されている日本を代表する郷土料理店。そんなお店にこんな若い女の子が行くだなんて。いいなあ、美人はトクだなあ。
「あたし、ジビエ大好きなんです。ジビエとか、チーズとか、クセの強い食べ物って大好き」ジビエ好きはヤレる。食通の間での定説である。なるほどね、とひとり得心していると、「え~!それって性欲めっちゃ強いです!ってアピールしてるようなもんじゃん!」と遠慮の無いA子。下ネタのゴングが鳴った。
「この前、『ヤラれてるうちが華だよ』って励まされたの。弟に」会ったことはもちろんありませんが、その弟とは楽しい酒が飲めそうです。
「男ってズルいですよね。結婚していることを隠して独身女と遊びたがりすぎ。この前、あたしを口説いてきた男のFacebookをチェックしたら、やっぱり結婚してた」うーん、確かにフェアじゃないなあ。そんな関係、早晩破綻することは目に見えているのにねえ。
そんなややこしいことをするんじゃなくて、既婚者であることを全面にアピールして、それでもOKという女の子と遊んだほうが気がラクだと思うのだけれど。例えばA子。彼女は深夜であってもお構いなしに「飲みに行きましょう!今すぐ出てきて!ウェエエーイ!」と電話してきます。隣では妻が寝息を立てているというのに。ある意味健全な関係。
日付も変わり明日の沖縄もあるので早めに解散。「あたしもフランス料理、連れて行って下さいね!一緒にジビエを食べるの」と科を作る菜々緒。ワリカンならいつでも喜んで、と答えると、途端に表情がひきつる美女。これが健全な立ち振る舞い。


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