バルト海クルーズ vol.4〜サンクトペテルブルク(ロシア)〜

サンクトペテルブルク。長い間ロシアの首都だったのですが、ソ連時代だけレニングラードと改称され、ソ連崩壊後は再びサンクトペテルブルクと呼ばれるようになりました。バレエや文学が盛んな芸術都市。プーシキンやドストエフスキーはこの街を根城とし、夏は白夜です。
1703年にピョートル大帝がロシアの近代化の象徴として莫大な費用をかけて沼地を開拓したことがこの街の始まり。彼はヨーロッパ大好き人間だったようで、当時のオシャレの最先端であるオランダを真似た街並みを始めとして、ヨーロッパのイケてる建築を次々とパクったため、景観としてかなりのごった煮感があります。
ちなみに第二次世界大戦の独ソ戦においては100万人以上の市民が死亡しており、これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回ると言われています。
ところで、サンクトペテルブルクは一般人が観光するには極めて難易度の高い街です。ロシアは個人で観光ビザを取得するのがとにかく大変なので、裏技として旅行会社を活用しましょう。彼らが主催するツアーに参加すればビザ無しでの入国が可能となるので(厳密にはビザ無しと表現して良いかは不明)、特別な理由が無い限りはツアーに参加することをオススメします。私は船会社が主催するオプショナルツアーに参加しました。


■エカテリーナ宮殿(Catherine Palace)
サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在する、ロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。名はピョートル大帝の后、エカテリーナ1世に由来します。
館内はとにかく華美。ロシアって灰色で暗い国だと思ってたけれど、実際には金ピカで豪華絢爛。ヴェルサイユ宮殿よりも派手に感じました。


■聖イサアク大聖堂(Saint Isaac's Cathedral)
サンクトペテルブルク中心にあるロシア正教会の大聖堂。建築家はフランス人のオーギュスト・モンフェラン。完成までに40年もの歳月が費やされたのですが、モンフェランが「完成したら死ぬ」と占い師から脅されており、意図的に工期を引き伸ばしていたからだそうです。
結局、完成してすぐに彼は他界したとのこと。こわいこわい。


■ニコラエフスキー宮殿(Nikolayevsky dvorets)
ロシア皇帝ニコライ1世の皇子女のために造営された宮殿。の、はずなのですが、現在では団体観光客の受け入れ先となっており、宮殿内でロシアの伝統料理が供されています。
この料理のまずいことまずいこと。サラダに始まりボルシチ、ビーフストロガノフ、アップルパイなど、何もかもが徹底的に酷い出来でした。ご丁寧にパンまでも不味い。これはニコライ1世と私への冒涜に他なりません。呪ってやる。


■エルミタージュ美術館(Hermitage Museum)
ロシアの国立美術館。世界5大ミュージアム(イギリス『大英博物館』、フランス『ルーブル美術館』、アメリカ『メトロポリタン美術館』、台湾『故宮博物院』、ロシア『エルミタージュ美術館』)の一角をなし、1990年に世界遺産としても登録されています。ちなみに『エルミタージュ』とはフランス語で『隠遁者』『世捨て人の部屋』という意味ですこれ豆な。
ルネサンスや印象派の巨匠の作品がゴロゴロと展示されているのですが、ツアーの時間の都合からか、それら目玉作品には殆ど接することができず、よく知らない肖像画ばかりを見る羽目になりました。もちろん私も私で美術品に対する心得が貧困層なのが良くない。ツアーでチョロチョロ見るのではなく、こればっかりは事前にたっぷりと計画した上で、たっぷりと余裕をもって訪れるべきでしょう。


■血の上の救世主教会(Church on Spilt Blood)
穏やかでないネーミングの教会。「血」とはロシア皇帝アレクサンドル2世の血であり、この血で彼はテロリストたちに殺られてしまったのです。その後、彼の跡を継いだアレクサンドル3世によって先帝を弔うため、終焉の地に建設されたのがこの教会。玉ねぎ形状の屋根やモザイク画に彩られた壁面など、他のロシアの教会とはちょっとテイストが異なるのが興味深い。


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バルト海クルーズ目次
子育て中のイラストレーターが漫画でクルーズの素晴らしさを伝えてくれるエッセイです。クルーズ旅行って、高級なイメージがありますが、子連れなどの場合は総額では割安になることが多い。そのような事実や基礎知識を非常に解かり易く著している良本です。クルーズをまだ一度も経験したことが無い人が読むに打ってつけ。