アピシウス/日比谷

「もしテイスティング試験まで合格したら、お祝いに何でも好きなワインを飲ませてあげる」。首尾よく合格し、本当にご馳走して頂けることになりました。

私が指定したワインはシャトー・マルゴー。要求する私も私ですが、応じる連れも連れである。「それじゃ、ワインの格に見合ったレストランじゃなきゃね。やっぱアピシウスかなぁ?そこなら友達が働いてたし」。
「ペニンシュラのバーで待ってて」。イケメンか。ちなみにこのバー、ピーターというメインダイニングの併設で、食事はしたことがあったのですが、バーとしての利用は初めてです。空間がエロ過ぎて食事をするにはちょっとアレでしたが、バーとしての利用であれば斎藤工っぽくて良いかもしれません。
つい手を伸ばして触れたくなる夜景。全ては夢であり、実は私は「東京カレンダー」の登場人物なのではあるまいか。
あくまで待ち合わせという位置づけなので、控えめに控えめに乾杯。
自動的にオツマミが。左の揚げパスタっぽいのがピスタチオの殻ぐらい硬かった。
「お誕生日おめでとう」と唐突にプレゼントを頂戴する。そう、今日は私の誕生日でもあるのです。今夜は色々ご馳走してもらえるのに悪いよ、でも嬉しい、ありがとう。「気にしないで。せっかくの誕生日、もらってるんだし」。気分は売り上げナンバーワンキャバ嬢。
どこまでも柔らかいカシミヤとシルクのチーフ。これからの季節にぴったり。直ちに身に着ける。
趣向を変え、ビールへ移行。我々は気取った食事ばかりしているのではなく、ヒールでもスニーカーでも両方いけるタイプなのです。予約時間が近づいたのでお手洗いを済ましてからお会計。「お連れ様から既に頂いております」。男前か。
さて本題。アピシウス。1983年のオープン以来、日本のフランス料理界を牽引し、最もカップルを誕生させ、商談をまとめてきた東京最高峰のレストランです。私がお邪魔するのは実に4年ぶり。ディナーは今回が初めて。胸が高鳴ります。
支配人に始まり、偉い人が入れ替わり立ち替わり我々のテーブルに挨拶に来てくれます。リアル真中沓子である。
ダイニングを取り囲む美術品の数々。シャガール、ロダン、ベルナール・ビュフェ、ゴヤ、アンドリュー・ワイエス、ユトリロ、、、美術館さながら。付きっ切りで我々の世話をして下さったシェフソムリエは「しっかり見ていってくださいっ!料金に含まれていますからっ!」と会ったその瞬間に懐に飛び込む温かさ。本物のサーヴィスとはこういうものなのかもしれません。
「乾杯は、シャンパーニュ、ボトルでイッっちゃいます?マグナムでも何でも!」と軽口を叩くシェフソムリエ。いえ、今日はマルゴーを飲むと決めてきたので、控えめに控えめに。「おっ!マルゴー!いいですね!何本でもどうぞっ!」まるで気立ての良い寿司屋のよう。
ここのオリーブは心から美味しく、もっとパクパクいきたいのですが、今夜はクレッシェンド確実なので抑えて抑えて。
英字新聞のように細かく偉大なワインリストで議論を重ねるふたり。空気感があまりにもエレガントだったので、思わず隠し撮りしてしまいました。
「バースデーヴィンテージがあるかどうか、事前にお店に確認してたんだけど、無かったんだ。今夜はコレで我慢してね」思わず目に汗をかいてしまいました。ちなみに私がなぜこんなにマルゴーにこだわるのかというと、私がワインを好きになったきっかけのひとつがマルゴーのセカンドだからであり、思い入れがとてもあるのです。
すぐに抜栓してデキャンタージュ。もちろん知識としては知っていましたが、ローソクの灯で実施するところを初めて拝見しました。
さてお食事。エスカルゴとキノコから始まります。チャラついたフレンチとは一線を画す真実味のある味わい。エスカルゴのグニグニ感が楽しい。
マスのテリーヌにクワイのチップス。クワイっておせちでしか食べたことがなかったので新鮮。ところでクワイって漢字で「慈姑」って書くんですね。クワイだとジャミロクワイっぽさが拭いきれないので別の表現をしたいところですが、うーん、慈姑だと家庭内に問題があるように見えてしまう。
白はグラスで進めることにしました。良い意味でムルソーっぽくない。美味しいなあ。
パンにはあまり手をつけませんでした。当店はデセールが実質食べ放題であり、また彼女と食事をする際はチーズまでフルフルコミコミがお決まりなので、胃袋を確保しておく必要があるのです。
ウニとキャビアの野菜クリームムース、コンソメゼリー寄せ。ド・クラシック。野球ボール程の大きさ。まるで北島亭を彷彿とさせるポーション。
目が覚めるような白妙のムースをふたつに割ると、顔を覗かせるキャビアとウニ。全ての食材の味か濃く、本物のフランス料理です。特にコンソメゼリーが印象的。化学調味料のようなズルはしない正真正銘のコンソメでした。
サヴァニャン。なんともリッチでエレガント。合わせる食事は
泣く子も黙る白トリュフのリゾット。妖艶な香りが半径3メートルを満たし始め、コカイン中毒者のようにラリっていると、
「今日色々アレなんで、シュルシュルっといっちゃいましょう!」と、目の前で追加スライス。貴族か。
推定6~8グラム。ちなみに噂によると今年の白トリュフは仕入れでキロ70万を超えるらしいですよ。仕入れでね。いずれにせよ、エロティックな香りがリゾットの輪郭を覆い被さり、私の身体に不整脈を引き起こす。
スペシャリテのウミガメのスープ。完璧に澄んだ琥珀色。筆舌に尽くしがたいクリアな濃厚さ。矛盾する味わい。幸福を液体にするとこのような形になるのではあるまいか。

ちなみにウミガメは絶滅危惧種で気軽に食べて良いものではありませんが、小笠原では漁獲量を制限しつつも文化として食べ続けられているのですね。その貴重なウミガメを当店は1割近くお取り寄せしているらしいです。全くとんでもない食材をスペシャリテにしてしまったものである。

ちなみに合コンで実施すると100%盛り上がりお持ち帰り確実と言われる質問ゲーム「ウミガメのスープ」とは全く関係がありません。あれはゲームとしては面白いのですが、例の船員(または軍人)は自殺するには察しが良すぎる気もします。
受け止めるワインはアモンティリャード。ウミガメのスープとアモンティリャードはずっと二人三脚で歩んできた取り合わせなんですって。歴史を飲む。ワンダフル。
鴨のフォアグラのポワレ。これでもかというほど高級食材が続きます。まるで江藤がいた頃の巨人軍。フォアグラはそこらのビストロのインチキフォアグラとは画然たる格の違いがあります。また、付け合せも唸るほどの調理。最上級のフォアを受け止めるように紅玉リンゴを設計し、昇華されています。食材・調理技術の双方が見事に組み合わさった一皿でした。
マディラを合わせる。マディラって勉強以外で飲むことがなくて、料理ついでに少し舐めるとウェあんま美味しくない、という印象しかなかったのですが、考えを改めました。フォアの脂と渾然一体となって溶けていく素晴らしきマリアージュ。
金目鯛のヴァプール。簡素に赤裸々に蒸しあげたのみ。それなのに迫り来る圧倒的な海の味。なんなんだこれは。鳥肌が立ち、震えながら食べました。ブロッコリーとカボチャが下に敷かれ、イカスミのソースも旨味たっぷりに寄り添うのですが、とにかく金目鯛の旨味に信憑性がある。すごい皿。本日一番の料理です。
ヴィオニエ。白なのに紅茶のように香ばしくハチミツのようにとろけていく。
このとき私の脳内ではエルガーの「威風堂々」が再生されていました。メインイベント、シャトー・マルゴー1996の登場。パーカー99点。丁寧に丁寧にデキャンタージュされ、後生大事に開かれた一本。涙で視界がぼやけます。

色を見る前に香りが届いてくる。グラスを近づけずとも広がる並外れたゴージャスな香り。味わいは、、、想像していたよりも全然美味しい!いや、今までそれなりに高いワインはいくつか飲んだことはありますが、いずれも想定の範囲内だったのですね。なのですが、本日のこちらは覚悟していたよりも段違いに輝かしい味わいでした。造られてから20年近く経っているというのに途方も無くフレッシュ!

ここから先は美辞麗句を並べ立てても詮のないことなのでここまでにしておきますが、私のこれまでの経験の中で最高の美酒であることは間違いありません。幸せだ。私も実は東垣内豊なのかもしれない。
和牛のポワレにボルドレーズソース。野性味とは対極。過保護に育てられた和牛のキメの細かやかな肉質が幾重にも連なり味わいを深淵なものに。ワインとの教科書のような組み合わせ。これはもう完全に恋のマイアヒ。マイアヒー!うめー!
お待ちかね。チーズワゴンの到着です。ワイン好きでこのシチュエーションに萌えない人はいない。
ハードチーズ2種にプーリニーサンピエールと、、、もうひとつなんだっけかな。コンテが秀逸。見事に熟成されており、マルゴー様とうまくやってくれています。「今日はキミのために開けたマルゴーなんだから、どんどん飲んでね」と、ほとんどを飲ませて下さる女神様。
乾燥イチヂクが名脇役。
ドライフルーツが詰まったパンも最高品質。ああ!もっと食べたいのにすぐ後ろでデセールのケーキワゴンが控えている!
ケーキ軍団到着。私はこういう状況であれば常に「全部くれ」とお伝えすることにしているのですが、それはミニャルディーズの話。当店は小菓子ではなく、れっきとしたケーキなのである。いけるか?いけるのか?と逡巡していると「全部じゃないの?」と煽られ望むところです。
「ケーキの準備をしている間、セラーをご案内しますよっ」ということで、店内奥の秘密の部屋へ。す、すごい。。。DRCに始まり憧れのボトルがゴロゴロ並んでいます。一本ぐらいくすねてもバレないかもしれません。いやバレます。
バーへ移動。重厚で濃密な空間。下関条約ぐらいなら簡単に結べそう。こういうときに手馴れた感じで葉巻でも吸えればカッコイイんだろうなあ。
左から、ガトーショコラにイチヂクにチーズケーキにレモンケーキにモンブラン、イチゴだっけかな?良い具合に酔っ払い始めたので記憶に自信がないのですが、レモンケーキが爽やかで印象的。
スペシャリテのタルトタタン。上品な甘さを湛えながらほどよく温かい。このような直球勝負のお皿が文句なしに美味しいって、本当に実力がある証拠ですよね。
合わせるワインはシャトー・ギロー。最後の最後まで贅沢だなあ。ゆったりと甘さが膨らむ一方で、クドさは一切感じられない。様々な個性や特徴を方々に引き出した上で矛盾を解消するのが一流の条件なのかもしれませんね。
胡椒のアイスの清涼さがお見事。これだけ食べた後なのに、スイスイと食べてしまいました。
お茶菓子も好きなものを好きなだけ。さすがに気絶するほど満腹だったので「全部くれ」とは言えませんでした。悔しい。。。
それでも1人でこれだけ食べれば立派なものである。しかしどれもこれもが美味しくて、ああ、やっぱ全部食べたかったなあ。今度は軽めのコースでチーズもパスして腹6分目ぐらいの状態で全力で甘味に取り組もうと固く誓いました。

パーフェクトな晩餐。人生最高のディナーでした。この先、私の人生に何が起こるかはわかりませんが、今夜のディナーは一生忘れることはないでしょう。合格と誕生日という私の特別な節目に私だけのために完璧なおもてなしをしてくださったのですから。

豪邸や高級車などの物質はいずれ泡沫の如く消え去るものですが、特別な思い出というものは未来永劫、私の人生を満たし続けて行くのです。ときめきメモリアルです。
ちなみに、日本でシャトー・マルゴーだけが妙に有名になってしまったのは、「失楽園」のクライマックスでマルゴーと共に服毒心中するから、なんですね。原作者の渡辺淳一がなぜキーアイテムにマルゴーを指定したのかは謎ですが、いや、じゃあ他の五大シャトーで適任はあるかと考えをめぐらせると、やっぱマルゴーかなあ。

「毒入りじゃなくて良かったね、うふふ」。瞬間、彼女の瞳に光が宿る。ただ、仮に前述の和牛のポワレと共にマルゴーを口にしてあの世に逝ってしまったとしても、それはそれで納得感のある、悪くない人生だったかもね。


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